“I never had any friends later on like the ones I had when I was twelve.”
「私は自分が12歳の頃に持った友人のような友人を、その後持ったことはない」
親友がいる。
僕らは、小学5年生のとき、学級崩壊をした。その後、6年時に担任が代わり、僕らは劇的に更生していくこととなる。その激動の時代を、多感な思春期の頃に共に過ごしたことが、今の僕らの友情に繋げてくれているのだと思う。
だから、中学生の時にこの作品を初めて観た時、これは僕らの物語だと思ったんだ。
4人の少年たちは、いずれも社会でうまく生きていけない「はみ出し者たち」ばかり。寄り添うように、バカをし、からかい合い、笑い合い、そして、「多くの大人たちに裏切られてきたけど、俺たちは友だちだけは裏切らない」と強く思っている。
それは、まさに小5の僕らそのものだった。
この映画の中の4人のうちの1人であったリヴァー・フェニックス(写真左から2番目)が、1993年にドラッグの過剰摂取で、23歳の若さで亡くなったという事実を、後になって知ることになる。まるで、あの映画の続きを知ったようで鳥肌が立ったのを覚えている。
実際、映画のエンディングでは、リヴァー・フェニックス演じるクリスは、「大人になってファストフード店の客のケンカの仲介に入って刺殺される」という設定になっていたからだ。結果的に、この映画が、彼の死を予言してしまったことになる。
そして、エンディングに流れるベン・E・キングの『Stand By Me』は、まだ英語を知らない僕らの耳に、この映画のタイトルと共に、深く残ることになる。
Stand By Meの意味は、「ぼくのそばにいて」「いつもそばにいる」
■ひまわりの花言葉
1999年。
僕らが高校2年生の時、あるドラマが月9で始まった。『リップスティック』(ごめん、『聖者の行進』じゃなかった(汗)脚本家は同じく野島伸司)だ。
当時、僕らは、野島伸司の脚本のドラマを、セリフを、意味を、必死に覚えようとしていた。そこには何か、学校では教えてくれない大切な何かが隠れている気がした。まだSNSもない時代、言葉としてネットで拡散したわけでもなんでもない。でも確かに、あの最終回の言葉を、きっと、僕らの世代は覚えている。
ひまわりは、いつでも君たちのそばに咲いている
君たち自身がまた、ひまわりのように咲くことができれば
やり直しのきかない人生などない
例えば老人になったとしてもだ
僕は知っている
この鑑別所の中でも、君たちのすぐそばで咲いているひまわりの花を
そして、君たちもまたひまわりになれるということを
ひまわりは日差しを欲しがる
しかし、争うようにはしない
皆いたわり合うように、太陽の出る東の空を向いている
ここは君たちを裁く場所ではない
君たちが、自分を見つめ直す場所だ
人の分の日差しまで欲しがらなかったか
いじけて、咲くことをやめなかったか
僕は知っている
君たちは、友達というひまわりを求め
そして君たちもまた、ひまわりになれることを
ひまわりの花言葉を知ってるかい?
「いつも、そばにいる」
そしてもう一つある
「あなたは、素晴らしい」
そばにいる人に言ってあげられるかい?
そうしたら、君も言ってもらえるよ
あなたは、素晴らしいと
だから僕らの世代は、ひまわりの花言葉を、他の世代のよりもずっと早くから知っていたのだ。
■『STAND BY ME ドラえもん』と『ひまわりの約束』
2014年、『STAND BY ME ドラえもん』が公開された。
きっと、「スタンド・バイ・ミー」って言ったら、今の若い子たちはこっちを想像するんだろう。でも、作り手たちは、僕らの世代に近い。だから僕は、このタイトルをつけたクリエイターたちの気持ちに、想いを馳せらせずにはいられなかった。
映画自体はリアルタイムでは観なかったけれど、当時、エンディングテーマでしきりに流れていた曲だけは、映画を観なくてもサビくらいはみんな覚えてしまったと思う。
きっと秦さんも、『リップスティック』を観ていたに違いない。
だって、僕の2つ上の同世代だもの。
そばにいたいよ
君のために出来ることが僕にあるかな
いつも君に ずっと君に 笑っていてほしくて
ひまわりのような まっすぐなその優しさを 温もりを 全部
これからは僕も 届けていきたい
本当の幸せの意味を見つけたから